アスリートと日本代表と日本人 -日本人の精神と報道の構造から-

スポーツやアスリートの業界と、他業界の似た仕組みや構造を持っているものを、マーケティングや広告、感情に流されることなく「心のスイッチを切って」見てきている「アスリートと〇〇」シリーズ。今回は、アスリートと日本代表と日本人の関係である。なおこの記事には予想が多々含まれる。予めご了承いただきたい。

日本経済とスポーツ

日本は、「失われた20年」といわれそのまま10年がたち、「失われた30年」状態になった。その間に日本は、世界各国との政治や経済では、世界各国からひたすらにボコボコにされ、最近まで「下」に見ていたアジア諸国からも、あれよあれよと抜きされれている状態である。そして仕組み上巻き返しは絶望的である。

それでも日本人はどこかに「かつては日本は世界でもトップクラスであったんだ!」というプライドがあり、衰退を割り切れない日本人は、どうにかして、なんでもいいから外国に一矢報いたいという思いが強い人が多い。

そこで出てくるのがスポーツである。スポーツでは歴史的に、多くの競技で国別対抗戦を行う傾向がある。この際当然日本代表は、日の丸をつけて試合に臨む。

一般的に外国人恐怖症の傾向が極めて強い日本人は、日本代表がそんな外国代表を倒しているところでどうにか快感を得ている状況であろう。端的に言えば現実逃避である。「下」に見ている途上国に勝つのは当然として、特にコンプレックスが強い欧米先進国を倒していると、気分がいいのではないだろうか?

このため日本代表が強く、外国代表を倒せないと人気も出づらくなり、メディアも取り上げないのだろう。(ここはどちらが先なのか感はある)。

日本代表の選手との関係

しかし一方で、スポーツの一部コアな分野外から見たら、「誰が日本代表か?」なんて正直どうでもよく「日本代表なんてぶっちゃけ誰でもよい」というのが正直な感想であろう。

かといって日本人が世界大会で金メダルを取ったとして、その際に「日本人のT選手が優勝しました。」と伏字にしたりインタビューにモザイクをかけて報道するのもなんだか変である。

よってT選手ではなく固有名詞として田中太郎選手(仮名)が出る。ただ印象は別としても、実際は名前が出ていようが出ていまいが、あまり変わらないように思う。

そもそも全体的な傾向として日本人は、スポーツが好きなわけでは決してない。さらにスポーツの日本代表は、該当するスポーツの日本協会に登録している選手から、日本代表選手や日本代表チームを派遣しているだけで、一般聴衆は「日本人」という点以外では、日本代表選手とは全く関係がない。さらに帰化選手も代表になれるスポーツもあり一部は日本人ですらない。

セカンドキャリア

セカンドキャリアこの話とアスリートのセカンドキャリアの話は大きな関係がある。

「オリンピックでメダルを取ったのに、引退した後の生活が大変」という話はよく上がるし、少なくとも業界内で見れば偉業を達成したわけである。

しかし気持ちはわかるが、現状のスポーツ領域の仕組みとして上記の「日本が金メダルを取った」ことに価値を置いているだけで「ぶっちゃけ日本代表は誰でもよい」点や「スポーツ自体にそんなに興味がない」点を踏まえると、当然と言えば当然である。

視聴者にとっては、日本代表としてメダルを取ったのは、田中太郎選手である必要はなく、誰でもよいのであるから。

やはりここでの一般聴衆の感じ方として、日本代表の看板を付けたTさんで十分である。

これを非常に冷めた目で見ると、金メダルを取った選手でさえも「ああそういえばそんな人いたねぇ」という感じの正直誰でもよい人の生活が、その後大変といわれても、どうでもよいのは正直なところである。

運営側としても「代表者はだれでもよい」というのが仕組み上そうなっている。宝くじで言うと「まあ誰かひとりは当たる。」状態である。正直飼っているのペットの金魚の方が可愛いだろう。

ごくまれにタレント性や特異性がある人が別の使われ方をする。しかしそれはもしかしたらメダルすら関係がないかもしれない。

なぜならば注意深く報道を見ていると、その知名度がある田中選手が3位になったとして「田中選手は負けた!」と報道されることが多いだろう。仮に他に強い人が田中選手に勝って金メダルを取ったとしても。後者はちょろっと取り上げられるだけである。おそらく広告効果は知名度のある田中選手の方が高い。この仕組み下では、たとえ優勝したとしても負けた選手のわき役である。

セカンドキャリアについては、さらに日本人の「人と比べて上」と相対的な位置関係を測るのが好きな傾向のある国民性と合わさると「活躍していた選手が、引退したら悲惨になっていてうれしい。大活躍していた人なら猶更」と感じる層が一定数いる。よってメディアがその需要を満たすためにその悲惨な状況を報道記事化する。数字が取れるメディアとしては「1人で二度おいしい」状況になる。

 

この辺りの構造についても留意しておくべきではないだろうか。