スポーツに広く関係する事象を心のスイッチを切って考えるシリーズ。今回は国際連盟と日本協会の関係について。オリンピック選手の選考で話題になっているものがある。新しく種目に入ったスポーツクライミングの選手の選考である。
出口の見えないスポーツクライミング“係争” 五輪代表選考基準が混沌
要するにNational Federation(NF)と呼ばれる各国の競技を統括する協会、日本では日本山岳・スポーツクライミング協会とInternational Federation(IF)と呼ばれる国際スポーツクライミング連盟で基準が異なっていることによる。(正確には国際連盟が後になって基準を変更したことを公開したようである。詳しくは他の記事をあたってほしい。)
今回は、この国際連盟と日本協会、選手の関係を、グローバル企業(簡単のため日本以外の外資系とする)と日本支社(各国支社とでも同じ意味だが分かりやすく日本支社とする)、その社員の関係で力関係を考えたい。
国際連盟と日本協会・グローバル企業本社と日本支社
組織の法的な位置づけや構造が違うために正確な比較はできないがざっくりいうとこんな感じだろう。
国際連盟≒グローバル企業本社
日本協会≒グローバル企業日本支社
日本協会理事≒日本支社正社員
アスリート≒日本支社非正規派遣社員
国際連盟の決定≒グローバル企業本社の決定
国際連盟の決定はいわばグローバル企業の決定と同様である。大半の企業で、グローバル本社と日本支社は、超えられないくらい大きい壁があることが多い。要は本社で決定を下したものが各支社へ降りてくる。ここに反対意見を言える機会はない。実際に日本協会が国際連盟から除名されると、オリンピックはおろか国際大会に日本代表を派遣できなくなる。
日本協会理事≒日本支社正社員
日本協会の理事は、日本支社の正社員のようなものである。グローバル本社の決定に歯向かっていたらクビになったり、日本支社ごと撤退になる可能性すらあるだろう。このため従わざるを得ないような状況になりがちである。
運営の視点
もし仮に世界的に有名なサッカー選手がオリンピックのスポーツクライミングの選手になって数字が取れる!などになれば、もしかしたらその選手が選ばれるように基準が微妙に変わるなどの「忖度」働くかもしれないが、そういった特殊な場合以外、基本は誰がどの国の代表選手としてオリンピックに出ようが構わないというのが正直なところだろう。そうすると余計に国際基準の統一化という運営を重視したほうがいいという動きに行きがちではないだろうか。
アスリート≒日本支社の非正規派遣社員
残るアスリートは、いわばグローバル企業の日本支社の正社員ではなく非正規の派遣社員のような位置づけと言っても過言ではない。運営への決定権は基本的にない。さらに誰が出てもどうでもよいと思われている。言ってみれば替えが利くコマである。
「選手の気持ち」というのも見かけるが、見ている側は心が痛むものもある。しかしながら、古代より「アスリート≒奴隷」の構造は変わっていない。ここでもしアスリートを奴隷と呼んでいたら「奴隷の気持ち」とか「奴隷が頑張っているのに可哀そう」という人はとたんに減るのではないか。メディアではその「奴隷」にだけをフォーカスし、彼らの意見を聞く形になる。それは大衆には歪んで映ることは間違いないだろう。
メディアがフォーカスするのは主にどこの国の選手か?である。このためスポーツ大会の主役は、選手であるかのように映る。しかしながら実際の「主役」は裏での利権の絡んだ運営であることは、知っておいたほうが良いのではないだろうか。特に選手を目指すということは、端から「目立ちはするものの、短い期間で使い捨てにされがちな非正規の派遣社員」のような位置づけになりがちであることを念頭に置いておくべきではないだろうか?