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アスリートと宝くじ -統計的な視点から-

毎年冬になると宝くじ。多くの方が、期待に胸を膨らませ、列に並んでいる光景は年末の風物詩となりつつある。
実はこの宝くじ、アスリートと比較して様々な構造が非常に似通っている。
宝くじやアスリートは夢や感動を与える等、感情的な部分が多く、宝くじは当たることが重要ではなく「夢を買う」である等、感情的な部分は様々ある。しかしここでは冷静に「心のスイッチを切って」数字だけを追ってみよう。

宝くじについて

宝くじは、ご存じのように1等付近に賞金が集中するタイプのくじである。宝くじは、仕組みとして、くじ購入者の約半分が運営に使われ、約半分がプール金になる。宝くじの当選金額と本数は次のようになっている。
等級等当せん金本数
(24ユニットの場合)
1等700,000,000円24本
1等の前後賞150,000,000円48本
1等の組違い賞100,000円4,776本
2等10,000,000円72本
3等1,000,000円2,400本
4等100,000円96,000本
5等10,000円480,000本
6等3,000円4,800,000本
7等300円48,000,000本

(発売総額1,440億円・24ユニットの場合 ※1ユニット 2,000万枚)

https://www.takarakuji-official.jp/news/recent/?newsId=181101

見ての通り、一等前後の一部のくじのみに賞金額が集中する。そして大半がハズレである。ハズレでは何も得ることはできない。5等の参加賞のような連番で3000円分買えば300円戻ってくるというものもあるが、これはハズレ同然である。具体的には、約半分が運営。当たった感じのある2等以上が当たる確率は約0.00017%である。よって99.9999%の人にとっては以上は、ただ金を吸われるだけのシステムである。もはや寄付に近い。

アスリートについて

一方アスリートの収入体系も似通った構造をしている。アスリートとはスポーツをやる人の意味であるがより競技をやる人の意味でつかわれることが多いためこの記事でも後者の意味で利用することとする。アスリートにもいろいろおり、プロやセミプロ、アマチュアなどまでさまざまである。ごく一部のスポーツの一部のプロ選手が巨額な年俸を受け取る一方で、プロといっても生活がカツカツなものや、本業を別に持つものまでいる。そもそもアマチュアで金銭を受け取っていない人のほうが、全体としてみれば明らかに多い。
真面目に推定する場合には、トップレベルの人たちの年俸を競技人口で割れば期待値が得られる。(おそらく生活保護の方が優に好待遇であるだろう。)https://note.com/santa346/n/n068b1f36ff15
上記のように報酬の構造が似ている両者だが、ほかにも共通点が多い。順番に見ていきたい。

宝くじが当たるかどうかは、言うまでもなく運である。これは宝くじでも基本は当たらないが、買えば買うほど僅かだが当たる確率は上がる。アスリートも同様に運の要素がある。努力でカバーできる部分は、宝くじよりは多いものの相当に限られていて、環境やタイミング、現役期間という短い間に運よく目をつけてもらえるかどうか?などの自分でコントロールできない要素が多い。ここで最大限に努力をすることを「持っているリソースを最大限につぎ込むこと」とすると、確かにそうしたほうが勝てる確率は上がるかもしれないが、環境と比べると微々たるものであるだろう。

メディアの一発ネタ

宝くじの一等が当選すると、場合によってはメディアが当選者を持ち上げる。「運も実力のうち」という格言の元では、宝くじに当たった人は、実力で注目をされたことになる。しかし早ければ数日後には忘れられる。そして毎年新しく表れる。その後の人がどうなったかはごく一部のマニア以外は知らない。アスリートもオリンピックなりワールドカップでも周期は4年。一部のマニアとごく一部の変わった感じで目立つ人以外は、同様に忘れられる。

自己破産

宝くじを当てた人も、数年後には元の水準に戻っているか自己破産する率が高いようである。むしろ一度持ち上げられているだけあって、虚しさは増すようである。同様に、アスリートの引退後の自己破産率は一般と比べても有意に・異様に高い。
選手を引退した後は、基本は悲惨になりがちであるようである。これも一度派手な業界で場合によっては高給で持ち上げられてしまったので、さらに虚しくなるようである。見方によっては、宝くじとアスリートは両方ともに「(当てなかった)元の水準に戻っただけ」という見方すらできる。

その後 -セカンドキャリア-

非常に似通った両者であるが、決定的に異なるものがある。事後の対応である。「宝くじの一等に当たった人」と「各スポーツを代表するような選手」は構造としては同等である。宝くじも、1等を当てれば、出来るかどうかは別として、仮に質素に暮らしていれば、一生その一発当てただけで暮らしていくことが可能であると思われる。
アスリートも収益性の高いスポーツで業界を代表するような世界的な選手であれば、さらに有名人がさらに有名人になる「優先的選択」のおかげでそれだけで暮らしていくことが出来る。付随してコマーシャルやコメンテーターなど直接関係する仕事も出てくる。ただ、セカンドキャリア・デュアルキャリア問題を取り上げた際に一般的に、これは問題にならない。ここで「収益性の高いスポーツ」と言っているのは、競技によっては「1等」でもハズレの可能性があるためである。
問題はそこから少し外れたところにある。なおこの際「宝くじに望みをかけて全財産を買った結果、当たらずに生活が苦しい」という人がいたとすれば、必ず「宝くじを無計画に買うからだよ。自己責任。」となるだろう。よって宝くじにハズレた人は基本問題にはならない。一方で、構造はほぼ同じものの「人生のすべてを捧げたのちに(世界の収益性の高い協議のトップではないレベルで)引退したアスリートの生活が厳しい」については「プロスポーツ選手なんか目指すからだよ。」という話はなかなか出ない。むしろ「大変だ。可哀そう」のような意見の方が多くないだろうか?
これらの比較を比べると 「全財産を使って宝くじに中途半端に2等や3等位に当たった人」がアスリートでは「日本代表にちょっとなった人」や「オリンピックに出た選手」はどうすればいいか?というレベルの状況に相当する。繰り返しになるが宝くじやアスリートの構造上、「1等」でない限り、ハズレはハズレである。どうにもならない。2等や3等以下では、宝くじを買わずに他のことをやっていたほうが良かったかもしれない。アスリートも同様であろう。
何故この差が起きるかというと「スポーツ選手を持ち上げるマーケティングの結果」なのだろう。「すごいもの」として打ち出したものは、その後も恵まれるべきであるという感情的な考えが根底のどこかにあるようである。冷静に考えると、一部を除いて「変わった趣味が強い」以外の意味を持たない。
もちろん感情的な部分や「一心不乱に取り組む能力」等はいかせるものなどはあるかもしれないが、構造や仕組みとはまた別途考えるべきである。よってアスリートと宝くじは、過程は別としても、結果の構造が非常に似通っている。この点にも留意するべきであろう。